文化審議会は、11月18日(金)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、史跡名勝天然記念物の新指定14件,追加指定等21件,登録記念物の新登録2件,重要文化的景観の追加選定1件について,文部科学大臣に答申しました。
この結果、官報告示の後に,水口岡山城跡が史跡名勝天然記念物の一つとして追加される予定です。

-追記-
平成29年2月9日 官報に告示され、正式に国指定史跡となりました。

文化庁「史跡等の指定等」より引用

5 水口岡山城跡【滋賀県甲賀市】
古くから街道が通過する交通の要衝である水口平野の東端部に位置する古城山に所在する。
天正13年(1585)頃に豊臣秀吉の命を受けた中村一氏により甲賀の直接支配の拠点、東国への抑えとして築城されたと考えられる。
その後,豊臣政権下で奉行を務めた増田長盛、長束正家、といった政権の重要人物が城主とされるなど、その政治的、軍事的な意味合いは大きい。関ヶ原の戦い後には、正家が西軍に与したために、接収され、その後しばらくして廃城となるが、それ以後も幕府や水口藩により管理され、明治時代以降は公有財産として引き継がれたため、保存状況は極めて良好である。
また、文献史料には、築城にあたって矢川寺の堂塔を壊して水口岡山城へ運んでいることや、長束正家が城主となった後に大溝城の天守を解体し、その部材を利用したことなどが知られているが、発掘調査では矢川寺遺跡出土のものと同笵の軒瓦、大溝城跡から運ばれたと考えられる軒瓦が出土したことにより、文献史料の記載が考古学的にも裏付けられた。
豊臣政権により甲賀の支配と東国の抑えのために築城された、保存状態が良好な織豊系城郭であり、出土遺物から築城や整備に伴う資材調達の様子が具体的に分かり、当時の築城の在り方を知る上でも重要である。